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神戸地方裁判所 昭和43年(わ)1673号 判決 1976年11月18日

本籍

兵庫県尼崎市高田字宅地二二八番地

住居

兵庫県尼崎市戸ノ内町三丁目二二番二〇号

鉄工業

當銘勇

昭和一二年七月九日生

右の者に対する公務執行妨害、傷害及び所得税法違反被告事件につき当裁判所は検察官小池洋司出席のうえ審理を遂げ、次のとおり判決する。

主文

被告人を懲役一月に処する。

この裁判確定の日から一年間右刑の執行を猶余する。

訴訟費用中、証人工藤勝、同岩井正治(四回分共)、同藤原真行(二回分共)及び同斉田正雄に支給した分は被告人の負担とする。

本件公訴事実中、昭和四三年九月六日、同年同月一一日、同年同月一九日及び同年同月二七日の各公務執行妨害並びに所得税法違反の点(以上公訴事実第二乃至第六の事実)については、被告人は無罪。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、兵庫県尼崎市戸ノ内町三丁目二二番二〇号(当時は同市戸ノ内字南ノ畑七五六番地の七)に自宅兼事務所及び工場を置いて鉄工業を営み、昭和四三年三月一二日所轄の尼崎税務署長に対し昭和四二年分の所得税の確定申告書を提出したものであるが、昭和四三年七月九日午後零時過頃、外出先から帰宅したところ、大蔵事務官である同税務署所得税第二課員岩井正治及び同藤原真行が右所得税の確定申告に関する税務調査のため来訪し、既に右事務所内に立ち入つているのを知るや同人等に対しいきなり「なんや、税務署か、何の用や帰れ。」と申し向け、同人等が被告人に同税務署長発行の身分証明書及び質問検査証を差し出して右調査に応じてくれるよう求めかけると、「わしの留守中にここへ入つた。ここはわしの陣地や。わしは今から出て行かんならん用があるんや。お前等に用はない帰れ。」等と強く言いつけ、更に、同人等がそのまま右調査を実施することの当否をみきわめるため被告人にその所用のむきを尋ねると、「なんでお前等にそんなこと言わんならんのや。」と言つて、同人等に強く退去を求めた上、両手で胸もとに鞄をかかえて立つていた右岩井の右腕を左手で?み上げて同人の左背部を右事務所出入口南側の東に面した壁板に押しあてるとともに、その際側に寄つてきた右藤原の胸部を片方の右手で突いて同人を片側扉が開放されていた右事務所の出入口から外に押し出し、続いて右岩井を、前記のように右腕を掴み上げたまま右出入口に近ずけてそこから事務所外に突き出し、同人をよろけ気味に後退させて、そのはずみで同人をして右事務所出人口から約二メートル前後離れた個所の内側に開いていた鉄柵製の門扉に背部を打ちつけさせて、同人等にそれぞれ暴行を加え、もつて、同人等の右職務の執行を妨害し、かつ、右岩井に対し前記の暴行により皮膚が鶏卵大に発赤して二・三日間の圧痛を伴つた背部打撲傷(受診は当日一回だけで湿布をしたのみ)の傷害を負わせたものである。

(証拠の標目)

一、被告人の当公判廷(第三九回公判期日)における供述

一、被告人の司法警察員に対する昭和四三年一二月三日付(一一枚綴)、同月六日付及び同月七日付(図面を含む三枚綴)並びに検察官に対する弁解録取書

一、第八乃至第一一回公判調書中の証人岩井正治、第一二及び第一三回公判調書中の証人藤原真行、第二一及び第二二回公判調書中の証人藤井修、第二九及び第三〇回公判調書中の証人当真嗣博並びに第三一回公判調書中の証人当銘一子の各供述部分

一、受命裁判官に対する証人斉藤正雄の尋問調書

一、当裁判所の昭和四六年二月二日実施の検証調書

一、司法警察員作成の検証調書

一、医師斉田正雄作成の診断書及び健康保険被保険者診療録の写

一、被告人作成の昭和四一年分の所得税の確定申告書、昭和四一年分の所得税の修正申告書及び昭和四二年分の所得税の確定申告書の各写

(法令の適用)

被告人の判示所為中、公務執行妨害の点は刑法九五条一項、傷害の点は同法二〇四条、罰金等臨時措置法三条一項一号(刑法六条、一〇条により昭和四七年法律六一号による改正前のもの)に各該当するところ、右の公務執行妨害及び傷害の各罪は一個の行為で二個の罪名に触れる場合であるから、刑法五四条一項前段一〇条により重い右傷害罪につき定めた懲役刑で処断することとし、その所定刑期の範囲内で被告人を懲役一月に処し、情状により同法二五条一項を適用してこの裁判確定の日から一年間右刑の執行を猶余することとし、訴訟費用中主文第三項記載の分は刑事訴訟法一八一条一項本文によりこれを被告人に負担させる。

(弁護人等の主張に対する判断)

一、弁護人等は、判示の税務調査の根拠規定である所得税法二三四条一項(同法二四二条八号)は憲法一三条、三〇条、三一条、三八条一項、八四条に違反し、また、そうでないとしても、判示の岩井等の税務調査活動は、調査の必要性を欠き、かつ、事前通知を行わず被告人の所用を無視した点で被告人の私的利益との衡量において法律上許容される限度を逸脱しているから、違法な公務の執行である旨主張する。

しかし、先ず所得税法二三四条一項(同法二四二条八号)が弁護人等主張のように憲法に違反する規定でないことは、最高裁判所大法廷昭和四七年一一月二二日判決(刑集二六巻九号五五四頁参照)及び最高裁判所第三小法廷昭和四八年七月一〇日決定(刑集二七巻七号一二〇五頁参照)の趣旨に照らして明らかであるところ、当裁判所も右各判例の趣旨に従つて違憲でないと考えるものである。次に、調査の必要性の点についてみれば、前掲各証拠によると、被告人の昭和四二年分の申告所得額は二六九、八〇五円で、前年の昭和四一年分修正申告所得額七九六、八〇〇円からその約三分の一にも激減し、昭和四二年分の申告所得税額は零になつていたこと、当時尼崎税務署で把握していた被告人の主取引先である津田化工機株式会社に対する昭和四二年一月から六月までの売上高が、諸経費控除前とはいえ二七〇万円を超えていたこと、被告人には扶養家族として妻子四人があり、右の昭和四二年分の申告所得額は当時においても過少ではないかとの疑があつたこと、他方、被告人の所得税申告の様式は白色申告で、その所得税申告書自体からは右所得算出の根拠が不明であつたことが認められ、これらの事情に照らせば、税務当局において被告人の判示所得税の申告につき税務調査を行うべき客観的、合理的な必要性は備つていたと言うべきであり、また、調査活動の限度逸脱の主張については、前掲各証拠によると、なるほど判示当日には事前通知なしに右税務調査が行われようとしたことは明らかで、このことは、弁護人等の言う被告人の私的利益との衡量において、特に調査の時期、時間の点で考慮すべき事情ではあるが(なお、税務調査の実施が、その時期、時間、程度等の点で調査の必要性と被調査者の私的利益との衡量において社会通念上相当な限度で許容されることは、前記最高裁判所第三小法廷決定のとおりである。)、更に前掲各証拠によると、被告人には当時ほどなく取引先の津田化工機株式会社に出かけねばならない営業上の所用がひかえていたけれども、判示のとおり、被告人は前記岩井等が尋ねてもこの事情を説明せず、同人等が真実被告人に右所用のあることを認識するいとまもないうちに、同人等を退去させるため実力行使に出たこと、しかも、判示のように被告人が帰宅してから右岩井等が門外に退去するまでの時間は、数分間か長くとも一〇分間程度であつたことが認められ、これらの事情に照らせば、判示のような右岩井等の税務調査活動が右に言う被告人の私的利益との衡量においてその時期、時間更には程度の点についても社会通念上相当な限度を超えているとは到底認め難く、判示岩井等の公務の執行は、弁護人等主張のいずれの点においても違法ではない。

二、弁護人等は、更に、被告人の行為は動機、目的において正当であり、手段、方法においても相当の限度にとどまるから、可罰的違法性を欠く旨主張する。

しかし、前記のとおり、被告人は右岩井等に対し被告人に真実さしせまつた所用のあることを認識させるいとまも与えずに、判示のような実力行使に出たのであり、しかも、右実力行使の程度が判示認定のとおりにまで及んでいる以上可罰的違法性を欠くとはいえず、弁護人等の右主張は到底採用できない。

(一部無罪の理由)

一、主文第四項記載の無罪部分の公訴事実の要旨は、

被告人は、

(一)  昭和四三年九月六日午前一〇時過頃、被告人方事務所において、尼崎税務署所得税第二課勤務大蔵事務官中本周三及び同上村武一が被告人の昭和四二年分所得税確定申告に関する調査のため質問、検査をしようとしたのに対し、右事務所出入口附近にいる同人等の面前に立ち塞がり、「門の外に出ておれ。お前等は事前通知もせんと来たんか。こちらにも都合がある。今日は帰れ。」等と怒鳴りつけ、更に、右手を中本の胸もとに突きつけたまま「わしは手が速いから手の届かんところまでさがれ。」と怒鳴りつけて、右両名の身体に危害を加えかねない態度を示して脅迫し、もつて、両名の右職務の執行を妨害し、(公訴事実第二)

(二)  同月一一日午後二時頃、前記事務所において、前記中本が前同様の質問、検査を実施した際に、あらかじめ用意した年間損益計算書に記載の売上、仕入等の勘定科目の各合計金額だけを読み上げたが、右中本より更にその内訳明細等について質問され、帳簿、伝票類等の呈示を求められたのに対し、「これ以上言う必要はない。」、「どうしても見せんなあかんもんやないから原始記録は見せん。もう帰れ。」等と申し向けた上、「同じことを何べんもくり返しやがつて。いつぺん。」と怒鳴りつけるなり、同人に向つて椅子を振り上げ、その身体に危害を加えかねない態度を示して脅迫し、もつて同人の右職務の執行を妨害し、(公訴事実第三)

(三)  同月一九日午前一〇時過頃、前記事務所において、前記中本及び上村が前同様の質問、検査をしようとしたのに対し、「お前等二人に用はない。事前に連絡もなしに来たので何も聞かれん。帰れ、帰れ。何べん言うたらわかるんや。」等と怒鳴りつけ、同所にあつた椅子を同人等に向けて蹴り倒し、更に、同人等の面前に立ち塞がり、顔を右中本の顔に近づけ、「お前等俺の仕事を邪魔するのか、帰れ。」と怒鳴りつけて、右両名の身体等に危害を加えない態度を示して脅迫し、もつて、両名の右職務の執行を妨害し、(公訴事実第四)

(四)  同月二七日午後三時過頃、被告人方工場において、前記中本及び上村が前同様の質問、検査をしようとしたのに対し、「今は納品するのに忙しい。事前通知もせんで何べん来ても調査はさせん。帰れ。」等と申し向け、「何べん言つたらわかるんや。これは硫酸やで。目に入つたらつぶれるし、服についても知らへんで。」と言うなり、酸洗い用の酸液を箒の先にひたしてことさらに同人等に向けて振り廻す等し、その身体等に危害を加えかねない態度を示して脅迫し、もつて、両名の右職務の執行を妨害し(公訴事実第五)

(五)  同年一〇月一一日午前七時五〇分頃、前記事務所において、前記中本及び上村が前同様の質問、検査をしようとしたのに対し、両名の前に立ち塞がり、「お前等何時やと思つとんや。時間を打合せて出なおしてこい。」、「お前等何百ぺん来ても調査はさせん。」等と怒鳴りつけて、両名の質問に対し答弁せず、かつ、帳簿書類等の検査を拒んだ、(公訴事実第六)

ものである

というのである。

そこで、以下順次右各公訴事実について判断する。

二  前記(一)の公訴事実について。

被告人の当公判廷(第三九回公判期日)における供述、第一四回及び第一六回公判調書中の証人中本周三、第一八回及び第二〇回公判調書中の証人上村武一並びに第二九回公判調書中の証人當真嗣博の各供述部分、当裁判所の昭和四六年二月二日実施の検証調書を総合すると、尼崎税務署所得税第二課勤務の中本周三及び同上村武一は昭和四三年九月六日午前一〇時頃、被告人の昭和四二年分所得税確定申告に関する質問、検査の実施のため被告人方を訪れ、片方の扉が開放された門を通つて同じく片側の扉が開放されていた被告人方事務所出入口の直前まで至り、そこから、事務所内にいた被告人に対し同人らの身分、氏名を名乗つて右来意を告げたこと、被告人はその時右事務所内の奥にある事務机に向つて書類を検討中であつたが、右中本等が事前通知をしないで来訪したこと及び右のように被告人が書類を検討中であつたこと等から右質問、検査に応ずる意思がなく、事務所内から同人等に対し「事前通知をしないで来たから帰れ。表へ出え。」等と強く退去を求める趣旨の言辞を申し向けたこと、右中本及び上村は被告人に対し調査に応じてくれるよう求めながらも、被告人の右言辞により事務所入口直前から僅かに後退したが、被告人は間もなく事務所から出て右中本等の前に進み、なお調査に応ずるよう求めたり、応じられない理由の説明を求める同人等に対し、「事前通知をしないで来たから帰れ。今取りこんでいるところや。見てわからんのか。」等と言つて強く退去を求めたこと、このような経過の後、被告人は事務所入口前附近でなおも右中本等に対し「帰れ。表へ出え。(事務所入口から約二メートル六、七〇センチ難れた個所にある被告人方の門から外へ出よとの意味)」等と申し向けながら、右腕を上げ指をさし出して右中本の胸もとに近づけたこと、そこで、右中本が「暴力を振わないで下さい。」と申し向けたところ、その頃側に来ていた被告人の近隣に住む當真嗣博(当時二六歳位)が「このおつさん手が早いから、ちよつとさがつとけや。」と口をさしはさむや、被告人は瞬時差し出した指先を拳に変えたので、右中本等は二、三歩後退し、続いて、被告人が差し上げた右腕をおろした上で、同人等に対し「俺は手が早いから、ちよつと下つとけ。」と申し向け、これに応じて同人等は更に後退し、以後徐々に、被告人が進み寄るのに従つて同人等は前記門の内側近くまで後退したこと、そして、被告人と右中本等は同所で一時最初と同様のやりとりをした後、被告人が同人等に対し帰署の時刻を訪ねて、その頃被告人から調査日時の都合を電話連絡する旨申し出たので、同人等は門外に出たことが認められ、以上が右公訴事実に関する事案の経過である。

ところで、右関係証拠によると、右の一連の場面における被告人の各発言の語調は、かなり強かつたものと認められ、このことも併せ考えれば、殊に前記認定の被告人が事務所から出た後右中本等が門の側近くにまで後退する間の被告人の一連の言動は、一見、同人等の身体に対する加害の告知と受け取れなくもない。しかし、前記認定の被告人が右中本に向つて腕を差し上げた行為は、一分間にも及ばないごくわずかの間の動作であり(このことからして、右行為が右中本等に対し退去を促す意味のジェスチャーであつたと言う被告人の当公判廷におる供述もあながち排斥できない。)、前記認定の経過からすれば、前記の俺は手が早い云々の被告人の発言を導き出したとみられる前記當真嗣博の発言も、被告人の言動に威圧感を添えるようなものではなく、その場のとりなしの趣旨で、その語調も穏やかなものであつたこと、更に、右上村自身が前記一連の場面における被告人の言動にさし迫つた加害の危険を感じなかつたことが認められるのであつて、その他、前記のように、被告人は俺は手が早い云々の発言の際には既に差し上げた腕をおろしていた事実、前記認定の右中本等が門の近くに後退してから帰るまでの状況等の諸事情を併せ考えれば、前記認定の被告人の一連の言動が右中本等の身体に対する加害の告知をして脅迫行為に該ると認めるには、なお合理的な疑問が残る。そして、本件証拠上、他に脅迫に該るような被告人の行為の存在も認められないから、結局、右公訴事実については犯罪の証明がないことに帰する。

三、前記公訴事実(二)について。

被告人の当公判廷における供述(第三九回、第四〇回及び第四二回公判期日)、被告人の司法警察員に対する昭和四三年一二月三日付(一一枚綴)及び同月七日付(七枚綴)各供述調書並びに検察官に対する弁解録取書、第一四回及び第一六回公判調書中の証人中本周三、第一八回及び第二〇回公判調書中の証人上村武一、第二九及び第三〇回公判調書中の証人当真嗣博、第三〇回公判調書中の袴谷建二並びに第三一回公判調書中の当銘一子及び同當銘健一の各供述部分、司法警察員作成の検証調書、当裁判所の昭和四六年二月二日実施の検証調書、押収してある事務椅子一脚(昭和四六年押第六八号の一)及び録音テープ一巻(同押号の五)を総合すると、前記税務署中本及び上村は被告人との間であらかじめ打ち合せておいた日時の昭和四三年九月一一日午後二時頃、前記税務調査のため被告人方を訪問し、その事務所の入口で事務所内にいた被告人に来意を告げたこと、その時には既に右事務所内に被告人のほか被告人の所属する尼崎民主商工会の会員等数名が右調査の立会のために在席していて、被告人は、先ず中本に対し右上村を同伴してきたことを難詰し、同人の入室を頑強に拒み押問答の末、右上村は事務所外の入口附近で終始待機することとし、右中本だけが事務所内に入り、約九・五平方メートルの同事務内に他の事務器具類と共に配備された応接セットの長椅子の奥端に腰を掛け、被告人は右中本の左斜前の側に置いてある事務椅子(昭和四六年押第六八号の一)の背もたれに向つてまたがるように腰をおろして、ようやく右調査が始められたこと、右調査においては、約四五分間にわたつて右中本が被告人に対し売上高、諸経費、取引先、事業内容、取引銀行、従業員数及びその氏名等について質問し、被告人はこれに答え、或いは不明である等としてこれに答弁をせず右中本と問答をした上で、あらかじめ用意したメモに基づいて売上金、諸経費の各項目ごとの合計金額を読み上げ、右中本はこれを筆記していつたこと、その後、右中本は以上の程度では調査が不十分であるとして被告人に対し右勘定科目の金額の算出資料である原始記録、帳簿等の書類の提示を求めたが、被告人はにわかにこれに応ぜず、右中本との間でやりとりをしかけているうちに、右事務所内の電話機に被告人の下請先の津田化工機株式会社から被告人宛に元請の日立造船の人が製品の納期の打ち合せに来ているのですぐ出向いて来るようにとの電話がかかり、これを受けた被告人は、右中本の意向を打診する為即答を避け、受話器を手にしたまま右中本に電話の要旨を伝え、当日の税務調査は打切りにしてもらいたい旨申述べ、同人に対し、直接電話に出てその真偽や用件の切迫度、緊要度等を確めるよう申し出たにもかかわらず同人が自分に関係がないと言つて直接電話に出ることを断つたため、再度被告人は同人に対し電話を切る旨を告げ、同人がこれに異をとなえないことを確認したうえで、右電話の相手方にこれからすぐ出かける旨の返事をしたところが、右中本はこのようないきさつを熟知しながらなおも腰をおろしたまま、右電話の要件で出かけようとする被告人に対し前同様に書類の提示を要求し続け、被告人が次の調査期日について明日電話連絡する旨申し出て退出を求めているのに、右電話がかかつてから一〇分以上経過してもなお腰をおろしていたため、たまりかねた被告人は右中本に対し「同じことを何べんもくり返しやがつて、いつぺん」と怒鳴りつけるなり急に前記の事務椅子から立ち上つたこと(なお、この時被告人が右の椅子を振上げたか否かについては後記)、右中本は被告の右言動に対しすぐに立ち上がつて「暴力を振わないで下さい。」と申し向けた後、その場の雰囲気からも早や調査の続行が不能と考えて前記上村と共に被告人方から退去したことが認められる。そして、右各証拠によれば、被告人が発した前記認定の「同じことを何べんもくり返しやがつて、いつぺん」なる文言の意味は、被告人及び弁護人等の言うように、いつぺん外へ出て上村と相談せよとの趣旨ではなく、前記中本の態度に憤慨して、同人に対し、帰えらなければ実力行使に出るかもしれない旨の告知をしかけた、その文言の一部と見るべきであるところ、右発言に伴う被告人の行為として右公訴事実に摘示されている前記事務椅子を振り上げたとの点について検討するに、前記各証拠、特にそのうちの事務椅子の材質及び形態、録音テープに収録のその際に発現した音の態様及び回数に右の発言を併せ考えると、被告人及び弁護人等が主張するように、被告人は右発言とともにただ右椅子から立ち上つただけで、それを持ち上げるような動作をしたことはなく、立ち上つたはずみに右椅子自体のきしむ音又はこれと床面との間で発せられた音が聞えたに過ぎなかつたと認めるのは事実に反するようであり、さりとて、前記証拠中の証人中本及び同上村の各供述記載にあるように、被告人が右椅子を自己の肩位の高さまで振り上げたと認定するのは、約三坪弱の狭い事務所内に机、椅子、テーブル、下駄箱などがいつぱいに置かれていた上に、被告人及び中本以外に数名の者がいて非常に狭隘な状態であつたことや前記椅子の材質、形態及び録音テープに収録されている三つの音の速さ態様等から考え疑問が残り、結局、被告人は右椅子を床から多少持上げたが、すぐに床におろしたものと推認せざるを得ない。

以上認定の事案の経過に照らして公務執行妨害罪の成否及び脅迫罪の成否につき考察すると、本件公訴事実である公務執行妨害の実行行為としては、前記認定の被告人の各言動のうち、同じことを何べんも云々の発言とこれ以後の被告人の言動に限られるのであるが、右中本が実施に当つた税務調査は、その調査の時期、時間、内容の程度等においてその調査の必要性と被調査者の営業関係等の私的利益との衡量の上で社会通念上相当と認められる限度でのみ許されることは前記のとおりであるところ、被告人が前記のように所得算出の各勘定科目の合計金額を明らかにしたからと言つて、右中本において更にその算出資料の原始記録等の書類の提示を求めたことが直ちに右の許容限度を超えるものとは言い難いけれども、具体的な質問、検査に入つてから一時間近くの時間を費やして不十分ながらも一応の調査が行われた後に、被告人が取引先から急用で呼び出しの電話を受け、しかも、右中本にその真偽、緊要度等の確認の機会を与えたほか、電話を切る前にあらかじめ右中本に対して、電話を切るがそれでもよいかとの趣旨の問を投げかけて同人の意向を打診しており、同人において調査続行の意思があるのであれば、所要時間を告げるなどして、続行の意思を伝える方法はいくらでもあつたのであるから、同人が自ら右電話の確認を断り、電話を切るについても何らの異をとなえなかつたからには、同人としてはも早や当日の調査の続行を中止するのが社会通念上相当と認められるのであつて、その時点以後の同人の前記調査活動は、調査の時期、時間の点において被告人の右営業上の急用との衡量の上でその許容の限度を超えた違法な公務の執行に該るものと言うべきである。従つて、本件公訴事実の公務執行妨害罪は成立の余地がない。

そこで、次に右訴因に含まれる脅迫罪の成否につき検討するに、前記認定の被告人の言動、即ち、同じことを何べんも云々と怒鳴るなり椅子から立ち上つてその椅子を持ち上げた被告人の行為は、外形上は一応右中本の身体に対して危害を加えかねない旨の告知として脅迫行為に該るものと考えられるが、前記のとおり、そもそも被告人の右言動は右中本の被告人に対する違法な公務の執行に誘発されたものであり、前記認定の具体的状況のもとにおいては、被告人が右中本の違法な税務調査の続行を差し止めるため右のような行為に出たことは無理からぬところであり、また、右脅迫行為たる被告人の前記言動についても、前記のように上村が事務所入口附近で待機していたこと、同事務所内には被告人の妻及び尼崎民主商工会員等数名も同席していたこと、質問、検査中に特に険悪な空気はなかつたこと等前記認定のその場の具体的状況に徴して、被告人の右脅迫行為が直ちに現実の加害に移行する危険性を帯びいてたとは考えられず、右脅迫行為によつて生じたと推定される右中本に対する法益侵害の程度はそれ自体が軽微であるうえ、同人の違法な税務調査の続行によつてもたらされた被告人の前記私的利益の侵害と比較衡量しても、前者の方が大であるとは言えないこと等前記認定の事案の経過からうかがわれる諸事情に照らすと、被告人の行為自体も実質的違法性乃至は可罰的違法性を欠き、罪にならないものと認めるのが相当である。

四、右公訴事実(三)について。

被告人の当公判廷(第四〇回公判期日)における供述、第一四回及び第一七回公判調書中の証人中本周三並びに第一八回及び第二〇回公判調書中の証人上村武一の各供述部分、当裁判所の昭和四六年二月二日実施の検証調書、第二〇回公判調書中の当裁判所の検証の結果の記載、前記の押収してある録音テープ一巻を総合すると、前記税務署員中本及び同上村は昭和四三年九月一九日午前一〇時過頃前記税務調査の続行のため被告人方を訪れ、片側扉の開放された被告人方事務所の入口手前から被告人に来意を告げたこと、被告人は当時事務所内で書類を検討している最中であつたが、右中本等が事前通知なくして来訪したので、いきなり事務所の奥から同人等に対し「事前通知をしないで何しに来たんや。帰れ。」等と声高に申し向けて、同人等の調査要求に応じようとせず、ただ強硬に退去を求めた上で、事務所内に配置された応接セットの個人用椅子二脚のうちの入口より奥側の一脚を蹴りつけて、その蹴つた椅子を入口寄りに並んでいた他の一脚の椅子に倒しかけ、そのはずみでその椅子を入口寄りに若干移動させるようなことをした後、「この間お前らの言うたことは皆テープに採つてある。」等と言いながら、押収にかかる前記証拠物の録音テープを入れた箱を取つて事務所内の応接セットの入口寄りの椅子の上に投げ出し、更に、終始事務所の入口手前に立つていた右中本等の前に歩いて行き、右中本に顔を近づけるようにしながら、同人等に対し「仕事の邪魔をするのか、帰れ。」等と強く申し向け、事務所の入口扉を閉め切つてしまつたこと、そこで、右中本等はやむなく被告人方から退去したこと、なお、被告人は右の間終始事務所内にいたこと、また、前記応接セットの椅子は最も入口寄りのものでも事務所の入口から約一メートル弱離れて配置されていたことが認められ、以上が右公訴事実の事案の経緯である。

そこで右認定のもとで前記被告人の一連の言動を考察すると前記証人中本でさえも被告人の言動にさして恐怖を感じなかつた旨供述しているとおり、被告人の右一連の言動が右中本等の身体に対する加害の告知として脅迫行為に該るものと認定するには、大いに躊躇を感じさせられるのであつて、その他に本件全証拠によつても被告人において脅迫に該るような行為のあつたことが認められないから、右公訴事実については犯罪の証明がないと言うべきである。

五、右公訴事実(四)について。

被告人の当公判廷(第四〇回公判期日)における供述、被告人の司法警察員に対する昭和四三年一二月四日付供述調書、第一四回及び第一七回公判調書中証人中本周三、第一八乃至第二〇回公判調書中の証人上村武一、第二九回公判調書中の証人當真嗣博並びに第三一回公判調書中の証人當銘一子の各供述部分、司法警察員作成の検証調書、押収してある一斗大の合成容器一個(昭和四六年押第六八号の二)及びナイロン製箒一本(同押号の三)を総合すると、前記税務署員中本及び同上村は、昭和四三年九月二七日午前一一時頃前記税務調査の続行のため被告人方を訪問したが、被告人が所用で出かけるところであつたので一旦ひきあげ、同日午後三時頃再び被告人方を訪問し、前記事務所の東側の道路に面して入口がある工場内に被告人の姿を見て、開放されていた右工場の入口から被告人に来意を告げたこと、被告人は当時右工場の入口から三乃至四メートル奥に入つた所で従業員の山本喜久雄と一緒に同日午後四時頃に納品すべき製品のステンレス筒(直径〇・五メートル、長さ〇・七乃至一・五メートル)の酸洗いの作業中であつたこと、右酸洗の作業は箒洗車ブラシ・タワシを用い王水(硝酸と硫酸の混液)を酸性白土と混合した液体でステンレスの汚れを摺り落し、水洗する作業であつたこと、そこで、右中本及び上村は右工場内入口から一・二歩入つて、作業中の被告人に対し調査に応じてくれるよう求め、被告人が作業を中断できなければ被告人の妻に指図してでも協力してもらいたい旨申し出たが、被告人はこれに対して事前通知がないこと、納品時刻がせまつて作業が忙しいこと、妻が事業に無知であること等の理由をあげて右調査を断わり、右中本等に退去を求め続けたこと、そのうちに被告人は右中本等に対し「これは硫酸やぞ。目に入つたらつぶれるし、服についたら破れるぞ。」との趣旨のことを申し向け(この時に被告人が前記酸洗いの酸液のついた所携の箒を右中本等に向けてことさらに振つたか否かについては後記)、右中本及び上村は右酸液のかかるのを恐れて工場の入口まで退いたこと、その後、被告人と右中本等との間に当初と同様のやりとりがあつたが(この間に被告人が故意に水洗用のホースで廃液をまき散らしたか否かについては後記)、右中本及び上村は午後三時一五分頃調査不能と考え、調査を拒否すれば所得税法違反の罪により処罰されるとの趣旨の記載のある注意書を差し置いて退去したこと、なお、被告人は以上の間終始前記作業を続けていたことが認められる。そして、右各証拠によれば、被告人が右作業においてナイロン製の箒を使用していたものと認めるのが相当であるが(この点については、前記証人中本及び同上村の各証言に誤認或いは虚偽の供述があるとは認め難く、両名の各証言は信用できる。)、前記の被告人が酸液のついた右箒をことさら右中本等に向けて振つたか否かの点については、右中本等のいた入口の方に向つて作業をしていた被告人が右箒を左右に二・三回振つたことは事実のようであり、右中本及び上村は共にこれをことさらに同人等に向けて振つたものと感じ取つたのであるけれども、被告人は箒を高く持ち上げて振つたのではなく、下向けにして振つたものであり、また、勢いよく振つたものでもないこと、従つて、箒から酸液の雫が飛んでも右中本等のいた位置にまで飛び散るような状況でなかつたこと、前記のように被告人は右中本等が訪問する前から酸洗いの作業を続けていて、製品納期の関係から作業を急いでいたこと、しかも、被告人は右酸洗いのステンレス筒を自己の前に左右に長く置いてその作業をしていた事実が認められ、これらの事実に被告人の終始一貫した否認の態度をも併わせ考えると、被告人の右箒を振つた行為が前記の言辞の際に行われていたとしてもその行為はことさらに右中本等に向つてなされたものではなく、右作業過程の単なる動作の一端に過ぎないものではないかとの疑いが残り、他に右の合理的な疑問を排斥するに足る証拠もないから、被告人の右動作を脅迫行為の一態様と認定することは無理である。また、前記の、被告人が故意に廃液をまき散らしたか否かの点についても、前記各証拠によると、被告人が右中本等の方を向いて前記の作業をしているうちに放水状態の水洗用ホースを左右に振る行為をしたことがあり、右中本等はこれを故意に廃液をまき散らしたものと感じ取つたようではあるが、被告人はホースの先端を床面に向けて水をまき流したもので、右中本等に向けての行動ではなかつたこと、従つて、工場の床面は右中本等のいた位置に向つて次第に低くなつていたが、被告人の右行為により同人等に廃液の飛沫や流水がかかる危険は存在しない状態であつたことが認められ、これらの事実に前記のように当時被告人は忙しい作業中であつたこと、また、被告人自身が右動作について格別の印象を持つていないようであることを併せ考えれば、被告人の右散水の行為も、ことさらに右中本等に向つてなされたものではなく、前同様、作業中の単なる動作の一端にすぎなかつたのではないかという疑いが残り、この点についても脅迫行為の一態様と認定することはできない。

そこで、以上の事実関係を前提にすると、本件公訴事実に明記された被告人の脅迫行為として問題になるのは、結局、前記認定の、これは硫酸やぞ云々の言葉だけであるが、被告人は事実硫酸の混液を用いた危険な作業をしていたのであるから、右の作業中にもかかわらず工場内に立ち入つて来た右中本等に対しその旨の警告を与えることは、そのこと自体、何ら加害の告知に該らず、また、前記各証拠によつても、右発言が格別に加害の告知と受け取れるような語調でなされたとも認められず、その他前記認定の状況に照らし右言辞も脅迫行為に該当しない。そして、本件全証拠によつても、他に右中本等に対する脅迫に該るような被告人の行為は認められないから、右公訴事実については犯罪の証明がないことに帰する。

六、右公訴事実(五)について。

被告人の当公判廷(第四〇回公判期日)における供述、被告人の司法警察員に対する昭和四三年一二月四日付供述調書、第一五回及び第一七回公判調書中の証人中本周三、第一八回及び第一九回公判調書中の証人上村武一並びに第三一回公判調書中の証人當銘一子の各供述部分を総合すると、前記税務署員中本及び同上村は、前記税務調査の続行のため、昭和四三年一〇月一日頃から同月八日頃までの間に四回ほど被告人方を訪問したが、その頃臨時的に被告人が毎日午前八時頃から午後九時頃まで津田化工機株式会社に出張して仕事していたことから、いずれも被告人に会えなかつたので、被告人の出勤前に訪問することにして、事前通知なしに同月一一日午前七時五〇分頃被告人方を訪問したこと、被告人は、その時丁度津田化工機株式会社に出勤のため事務所に出て靴をはきかけていたところで、右中本等が調査に応じてくれるように求めかけたのに対し、「朝早ようから事前通知もなしに何しに来たんか。帰れ。」、「何百ぺん来ても調査はさせん。」等と申し向けて調査を拒んだこと、その間に、右上村が前夜の飲酒による酒の臭を遺していたことから、被告人がこれをとがめて抗議したこともあつたが、結局、右中本等は被告人に調査を拒否されて午前八時五分頃退去したこと、なお、右中本等は当日被告人に暇がなければ収支算出の資料を預つて帰るか、被告人からその妻に指図してもらつて協力を得ようとも考えていたことが認められる。

右の事実に徴して考察すると、右中本等が、いかに、資料を預つて帰るか、被告人の指図により妻の協力を得るだけでも良いと考えていたとはいえ、被告人が午前八時には出勤することを知りながら、事前の連絡もしないで、しかも、右上村においては酒臭を漂わせたまま、早朝午前七時五〇分頃の被告人の出勤間ぎわの時刻に訪問して、調査を行なおうとしたことは、客観的にみて時期的、時間的に、また、その態様においてはなはだ非常識な行動であり、被告人の私的利益を著しく侵害するものと言うべきであつて、他方、この時点で右のようにまでして調査を完遂しなければならない必要性の存在は証拠上認められないから、前記の被調査者の私的利益との衡量の上で許容される税務調査活動の限界を明らかに逸脱したものと認められる。従つて、右公訴事実における右中本及び上村の税務調査活動は違法であつて、被告人がこれに答えず、これを拒んだとしても、被告人のその行為は所得税法二四二条八号の罪にならない。

七、以上のとおりで、右各公訴事実については刑事訴訟法三三六条により無罪の言渡をする。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 荒石利雄 裁判官 米田俊昭 裁判官 木村烈)

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